夏の終わりに

隅田です(本当はタイトルを「夏休みの宿題」としていましたが、ウリゲンさんと重なったので)
この時期になると、子供の頃の夏休みの宿題を思い出します。

私が小・中学校の頃(50年前くらい)は、夏休みの真ん中あたりに登校日というのがあって、夏休みの宿題をチェックするという素晴らしい仕組みがありました。ただ、中間という事で何もできてなくとも、計画表なるものを出せばよかったような気もします。

ということで、私の場合、登校日は夏休みの宿題を計画的に進めるには効果を発揮しませんでした。
結果、夏休みの最後の3日にすべてを行うということを9年間続けた気がします。
そして「夏の終わり」と、日曜日夜6時の「サザエさん」が、学校嫌いを増幅させるキーワードとなりました。

そんなこんなで、中学校を卒業して大学を出るまで、宿題というものに対しては計画を立てて進めることが本当に苦手で、早く社会人になって解放されたいと思っていました。
ところが社会人になると、なんと学生時代のような長期の夏休みがなく、当然宿題もないのでこの宿題嫌いを克服するチャンスが二度とないことを残念に思いました。

日本の学校では、数多くのジャンルの学問や知識に対して毎日何時間も費やして吸収(インプット)し、それを義務教育では年間約150日×9年間、大学まで行くと十数年もやりつづけるのです。みんなすごい勉強してるんですよ。
それが社会人になった途端に、今度は、仕事という形で排出(アウトプット)しなければなりません。
ただ、学生時代の夏休みの宿題とは、社会人になってからのアウトプットの練習だったのではないかと思うようになりました。

言い換えれば、夏休みの宿題嫌いを克服するチャンスが来たのです。

私は社会人になってからずっと、ものをつくる仕事についています。この仕事を計画的に進めるために一番大事なことは、出来上がるものをイメージできるかどうかという事です。
今度つくるのはこんな感じのものだから、それを作った人のまねをして、ただがむしゃらにやってみても、出来上がるものは全く違うものや、違うことになることが多いですよね。私もずっと若い時は経験がないことを理由に、まず考えずにやってみるということを繰り返していました。確かにやらないよりやった方が宿題は終わっていくのですが、終わってみると求められたものとは違う結果をもたらす確率が高かったような気がします。そこが学校の宿題と仕事の大きな違いです。それでも若いのでやり直す体力と気力があったので、何とかなりました。これが最後の3日で夏休みの宿題を仕上げることとほぼ同じであることに気づいたのは40台の前半に体調を崩した時でした。

ちょっと話が長くなりましたが、ある程度長く仕事をしていると、いかに先を見通して計画的に仕事をすることが大切か分かるのですが、若い時は分からない場合が多いです。若い時に分かった方が色々なことができたと思いますが、それも人それぞれで仕方ありません。

少なくとも今思うことは、もしお客さんや同僚が問題に直面しているときに、自分が体験したことであれば、出し惜しみしないで素直に自分の体験を話すことが大切であり、問題を克服できる人はそれを素直に聞くことができる人であるという事です。

追伸、今ではサザエさんも楽しく観られるし、残り少ない夏を楽しむこともできるようになりました。

残り少ない夏を満喫しましょう!

最近仕事で行く富士山が通りのほぼ中心に見える商店街の風景(文章の内容とは全く関係ありません)
社長ブログ

次の記事

人と人