春日井市 PART1

いつもお関わりお繋がりご支援のほど、ありがとうございます。

『つくる人をつくる。』

『涙と汗のガテン系!』ウサミグループの宇佐見です。

本日も、JR春日井駅から朝のあいさつ運動からスタートしております^ ^

突然ですが

みなさん!『あいつ、毎朝駅に立って何を企んどるんだ?』とか『なんか既得権益があるんじゃないの?』とかいろんな人の声が聞こえてきます。

正直な話、最初は いやらしさもありました(^^;;

いや、いやらしさしかなかったです苦笑

しかし、今はそんな気持ちはなく

必ずや、春日井市をより豊かにしてくれる【石黒なおき】さんを応援しよう!

そして産官学の連携だけではなく、市民の一人一人の声を市政に届かせて、春日井市がより働きやすい、住みやすいまちになればと本気で思ってます。

なぜ春日井市?

もちろん、ウサミグループ本社が春日井市にある事もあります。

今回の【石黒なおき】さんの応援で、過去も振り返り、いろいろ考えました。

高校が春日井市(春日丘高校)で、会社を設立してから事務所(当時勝川営業所)を選んだ時もなぜか春日井市。

何も考えていませんでしたが、なぜか春日井市を偶然にも選定していました。

なぜ…?偶然です。

でも偶然は必然だったのではないか。と現在は感じています。

それでは、わたしの大したことない歴史と今回なぜ【石黒なおき】さんを応援しているのか?

何回かに分けてお話させて頂きます。※一度だと中々長文になるので…。分けますね^ ^

わたしが幼いころ、あまり記憶がないですが

私たち家族は春日井市の けやきヶ丘 というまちに住んでいました。

現在から40年以上前の話です。

父は、アパレル会社をしていました。母は専業主婦。

5つ上の姉(現株式会社あくしゅ常務取締役)がいて、わたしは記憶にありませんが中々の裕福な家庭だったみたいです。

※かなりの甘えっ子でいつも姉と手を繋ぎ姉に連れられていつも一緒にいたみたいです。

姉に聴くところ、当時は畳の部屋で札束で遊んでいたそうです。

わたしは全く知らないですが…笑

そんな裕福な生活をしている時、父親が借金の保証人をしていた方が海に飛び込んで自殺をした…。

そして、借金のかたがわりをしたみたいです。

そして、知らないうちにある朝。新聞のチラシに自分の家が…。みたいです。

そこから、幸せだったはずの家庭に歪みが出てきたみたいです。

いろんな問題が出て来て、両親が離婚。

姉は自分の部屋の押し入れに涙ながらにマジックで名前を書いたと後から聞きました。

おそらく、わたしはまったく知らないことですが、姉はかなり辛く寂しい想いをしたんだろうなぁっと思います。

わたしと姉は母親と3人で守山区に…。

父はその当時は、行き先はわからなかったみたいです。

そこから春日井市を離れていきます。

また次回、続きを投稿します。

朝から重たいお話で申し訳ありません(^◇^;)

みなさまにとって素晴らしすぎる1日を…٩(^‿^)۶