春日井市Part4【弱音】

いつもお関わりお繋がりご支援のほど、ありがとうございます。

『つくる人をつくる。』

『涙と汗のガテン系!』ウサミグループの宇佐見です。

ありがたいことに野球部顧問の先生が、中学まで来てくれ、高校が春日井市の春日丘高校に決まり、3月から野球部練習に明け暮れていました。その当時の部員は80人強いました。

そして、5月に入るとレギュラークラスと同じ練習に混じらせてもらい、朝早くから学校の授業をおえて夜までビッチリ汗をかいていました。

そして、ある練習帰り自転車で家に帰る途中。

春日丘高校は丘の上にあり、その丘からの下り途中で居眠りをしていたのでしょう。

ガチャン!ドチャン!バッターン‼︎

何故か短いはずの足が自転車の前輪に絡まり、すごい勢いで転倒。

わたしは、そこから記憶がないですが救急車で運ばれて春日井市高蔵寺にある徳洲会病院に搬送。

目覚めたら、ベッドの上でした。

そして、目の前には病院の先生。

足を踏ん張ったら曲がらないはずの方向にグニャっと…。

右靭帯破裂。一ヶ月の入院と緊急手術。

緊急手術では、血流が上昇し、5分くらい心肺停止したみたいです。

手術は、無事成功?し、寝たきりの生活から車椅子での入院生活。

『もう、野球も出来ないし…。』とスネて病院喫煙所に※未成年での喫煙は❌です。

そうしたら、見舞いに来てくれた野球部監督の先生と喫煙所で鉢合わせ(驚)

『野球部に戻ってくるか?リハビリを一生懸命したら、また野球できるはずだ。』と励まされましたが

わたしは、『申し訳ありませんが、野球部は辞めます。』と自分から逃げました。

そうです。野球部で練習していて対外試合で某元プロ野球選手などをみて、レベルの違いを目の当たりにし、『プロ野球選手になって、苦労をしてきた母親を幸せにし、金持ちになってやる!』なんて恥ずかしいことだった努力は報われない!と半端な努力しかしていないのに、自分から負け犬!そう逃げてしまいました。

今でも、自分自身から逃げた。という気持ちは脳裏に焼き付いています。情けない。

【弱音を吐くな!何があっても自分自身からは、逃げるな!逃げたくなったら人のために尽くせ!逃げない環境をつくれ!】が今の自分で感じた教訓です。

そして、退院し松葉杖で学校に通い始めてから【悪の道】へと導かれていきました。

人にいえないこともたくさんありました。

そこから、高校2年のある日。

学校では大人しく大人しくしていたわたしの前に学校で有名人の双子の彼ら(ジャイアン)がわたしの前に現れたのです。

みなさまにとって素晴らしすぎる1日を…٩(^‿^)۶