春日井市Part8(不安から安心を目指して)
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『つくる人をつくる。』
(涙と汗のガテン系!』ウサミグループの宇佐見です。
今まで、自分自身と向き合えず逃げてばかりいた私は嫁さんとの出会いをきっかけにお師匠さんみたいに【超一流の職人】スーパー親方を目指すと腕に磨きをかけ、邁進していきます。
そこで、お師匠さんとの二人っきりでのサシ飲みで人生の転機があります。
泥酔状態のお師匠さんからの不安な言葉。
『じゅん!オレ身体がいつまで持つか将来的に不安だ。』
あの時、なぜか今までだったらスルーしていた言葉が痛烈に残った。そしてモヤモヤする毎日を繰り返した。
オレの目指すところは本当にスーパー親方だろうか?目の前の取付数量に一喜一憂して技術を磨いて身体を酷使しても、スポーツ選手のような対価はもらえないし…。
そして、それからもモヤモヤしながらも職人として邁進いました。
今までも感じていたはずだが、スルーしていたことが気になり始めた。
例えば、親方として何十人と束ねていた人がある日を境に元の若い衆に日当いくらで使われている現実。
ある職人さんが現場でクレーンを使用していて数トンもある鉄筋材の束を足が挟まり、病院へ搬送。そのあと、とあるゼネコンと一次会社である某鉄筋工事会社から面倒をみてもらってたと思いきや、治療が終わり彼は職人としては仕事が出来なくなった。でもそのあとの補償はされなかった。見舞金をもらったみたいだが…。
それより、衝撃だったのがその職人と仲の良かった職人の現場にいった時に、わたしが聞いた言葉
『〇〇さんってどうなったのですか?』
『知らん。なんか九州の田舎に帰ったんじゃないかなぁ。〇〇会社と〇〇会社から〇〇万円もらったみたいだからラッキーじゃないの』と笑って花札をしながら、わたしに答えてくれました。
【何だ!この人たちは、将来をどう感じているのだろう。このままでは絶対にダメだ。安心や安全、安定をつくるためにはどうすれば…。】
おこがましいが、安定や安心。そして目指すものをつくっていけたらいいなぁ。と平成20年12月12日(リーマンショック時期)に株式会社ウサミ建工を設立しました。
そして、なぜか【春日井市勝川町】に事務所を開設。あの時のやったるぞ!と身震いし涙を流した瞬間は今も脳裏に焼き付いています。
会社を設立し、一度に8名の職人さんが(オレも正社員にしてくれ!』と来て、無計画のまま採用していきます。そして、口では偉そうに幸せになる!なろうと言っていましたが、会社をつくっただけでやることは変わらない。このままではいけない。とその当時、同業の後継者として先を歩いていた【江口 勝義】に相談しました。そして加工場を【春日井市桃山町】で借りることになりました。
さて、ゼネコンさんにガムシャラに営業活動をし(飛び込み営業)をして何とか仕事については受注が増えていきます。
でも経営者としての勉強って…?
読んだこともない分厚い本を読んだりしましたがちんぷんかんぷん。
そこで、【金林文達】に相談しました。
そしたら、以前個人事業主の時にのりで入会し、勝手に退会した愛知中小企業家同友会に再入会をすることを進められました。
そこから、経営者としての本気の学びが始まります。
経営者としての姿勢。経営指針書の必要性などたくさん学ばせてもらいました。理念経営『つくる人をつくる。』があるのもその活動のおかげです。
それからも、クラブメンター、春日井商工会議所青年部などで学び、より経営者としての資質を磨き自己研鑽も踏まえて学び続けました。
そして、数々の失敗とチャレンジがあり
いろんな人に支援して頂き、8年ほど前に【春日井市六軒屋町】に本社ビルを構えさせて頂き、14期目になっています。
様々な別れと出会いを繰り返しています。
そして、次のステージを見据えています。
かなり飛びましたが次回は、会社への思い、春日井市への思いへと繋がっていきます。
みなさまにとって素晴らしすぎる1日を…٩(^‿^)۶